天正十年六月十三日

無念でござる・・・。山科を坂本へ落ち行く光秀、竹薮に潜む土民の竹槍に刺しぬかれ…。

無念でござる・・・。山科を坂本へ落ち行く光秀、竹薮に潜む土民の竹槍に刺しぬかれ…。

殿、お気を確かに、坂本の城はもうすぐそこですぞ!   あるいは、殿、もはやこれまで!介錯は拙者が…と近習の某は言うたかも知れない。もちろん、言わなかったかも知れない。本能寺で主君、信長を討ち、歴史の時計を逆回転させようとした光秀は、その後、山崎合戦で中国大返しをやってのけた秀吉に大敗し、領国の近江坂本城へ落ち延びる途中、山科小栗栖の竹薮で落ち武者狩りの土民に襲われあっけない最後を遂げた事になっている。首と胴はその場?で切り離され、敵勢の手に落ちない様に処分されたらしいが、その後、反明智勢によって見つけ出され、斎藤利三のそれと共に京で晒し首にされたらしい。

ちょっと凄惨な出だしになったが、昨日、今年最後の寄席となりそうな醍醐寺境内の雨月茶屋で催された雨月寄席に行く前に、散歩がてら、最近購入したMAP64Sのフィールドテストも兼ねて、ご近所の史跡を訪ねてみる事にした。

ここで、極簡単なテストは行ったので、この結果を踏まえて、カシミールでルートを作成し、トラックにコピー、さらにここで紹介されている座標を元にウェイポイントも作成してから両方をMAPS64Sへ転送。地下鉄小野駅を降りて、京都外環状線を50mほど南下、府道35号醍醐道を西へ折れ、山科川を渡る辺りから作成したルートを目的地、光秀の胴塚と終焉の地である明智藪へと向かった。
最初の目的地、光秀の胴塚は山科川を渡ったところのGSを南に折れ、醍醐道を450mほど進んだところにあった。先ほどこの場所の座標を手に入れたサイトに表示されていた地図にプロットされていたポイントは170mほど北にずれていたが、座標値はMAP64Sのそれとほぼピッタリ一致した。ここまでのところ、ルート上に設定したポイント付近に来ると、地図が拡大表示されるし、チャイム音で通過した事も知らせる機能もバッチリ動作している。

石碑や記念碑などと言うものは判りにくいところにひっそりと存在する場合が多いような気がする。この碑も場所的には府道の直ぐ脇にあるのだが、昨日のように碑の前に車が止まっていたりすると見落としてしまう事が多いように感じた。もし、訪ねてみようと思う方はこの風景を参考にして頂けると吉かもしれない。駐車している白い車の脇に胴塚がある。

胴塚を後に醍醐道をルートに従い、さらに南下する。GPSは相変わらず絶好調。通過点をチャイム音で知らせてくれる。途中でバッテリー警告が出たので、入れ替え、さらに南へ進む。いつの間にか伏見区に突入しております。

さらに歩くこと15分程度。いよいよMAP64Sがその実力を発揮してくれました。適当にカシミール上で作成したルートですが、それに従って歩くと、醍醐道を少し西へ入った辺りから、周りの風景はまさに住宅地内の生活道路。その雰囲気はこんなんとかこんな感じ。途中にそれらしき標識も無いし、これはなかなか…。

切り出した国土地理院の1/12,500のソースとMAP64Sのお陰で迷うこと無く、無事明智藪に到着する事が出来た。ここで、光秀は土民、碑文によると信長近習の小栗栖館の武士集団、飯田一党、の襲撃により最後を遂げたとなっている。信長が兵農分離の先駆者とされているので、まだまだ兵農一致が一般的でその区別は曖昧なものだったのだと思う。ここは光秀の名誉のためにも武士集団の襲撃によりその生涯を終えたとしておきたいと思う。もっとも天海僧正になったとの噂もあるようだが…。(^-^)

出来ればこの後、時間的に都合が着けば東山の白川にある首塚を訪ねてみたかったのだが、生憎雨月寄席が終わったのが20:00前、花見小路のAcousticを22:30には出ないと帰れないので、山科から三条まで地下鉄で直行、再建なった?泉門天で軽く餃子を頂き、Acousticへ向かいました。

首塚は次回のお楽しみ。座標さえわかればMAP64Sは市街地の史跡めぐりにも威力を発揮してくれそうです。

Body:Nikon D610
Lenz:AF-S NIKKOR 18-35 F3.5-4.5G
iso:400
ap:5.0
ss:1/2000
fl:35mm
eb:0.0
soft:DxO Optics Pro9.0


本当?は明智藪へは正式な別ルートがあるのかも知れないが、今回辿った醍醐道から明智藪への間、ところどころを画像で紹介しておきます。

醍醐道からの分岐。ほそみ医院なる病院の前から撮りました。京阪バスの南栗栖停留所があります。逆光で見にくいですが、Y字路を右に入ります。その先、右カーブの先を右折。白い車の止まっているところ。その後、上でも紹介したこの坂を登り、突き当たりを右の方へ進むとこの景色となり、コンクリート壁のところに明智藪の碑があります。(^-^)

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