巨星墜つ

大阪湾に沈む夕日。数年前、九州行きのフェリーから撮ったものです。

大阪湾に沈む夕日。師匠の西方浄土とはどんなとこやろ。

桂米朝さんが亡くなった。
年に数回は落語を聴きに行くが、その殆どが米朝師匠一門の噺家さんばかりである。噺の中、ところどころで「うちの師匠の米朝もかなり危ないで」とか「まだまだ死なんわ」などと言う情報と言うのか、必殺の禁じ手ネタと言うのか、は時々聞いていたが、90歳近い年齢なので自然の摂理から言うてもボチボチやろなぁと言うのは感じていた、その米朝さんが、昨晩肺炎により御歳89で冥土へ旅立たれた。

冥土へ旅立たれたと言うと、当方が始めて落語を聴きたくて聴いたのがとっくの昔に旅立たれた初代桂春団治師匠の「いかけや」である。小学校低学年の頃だったと思うが、祖父が持っていたSP盤のなかにそれを見つけ、学校から帰るとほぼ毎日の様に聴いていた。特に、うなぎやの方が印象に残っているのだが、悪がきがタレを掬ってウナギにかける柄杓?を肥溜めに突っ込むシーンなど涙が出るくらい笑い転げたものだ。

で、その次に印象に残っているのが高校生になって友人の家で聴いた「地獄八景亡者の戯れ」でこれが米朝さんの落語と解って聴いた最初の噺である。笑い転げるという点では後に聞いた故枝雀師匠のそれの方が強烈であったが、米朝さんのはどんどん引き込まれて行ったような記憶がある。それはその時に一緒に聞いたと記憶している「皿屋敷」も同じであるが、こちらは10枚、11枚と無いはずの枚数まで皿を勘定したお菊が若い衆の「9枚で終わりとちゃうんか」と言う突っ込みに「風邪ひいて…」と言うセリフの下げが凄く印象に残っている。

ひょっとしたら、その後に聞いたほかの噺家さんのものかも知れないが、いずれにせよ米朝さんのお弟子さんにかわりは無いと思うので、米朝さんと言うても良いのでアル。

しかし、米朝さん個人として89歳と言う年齢まで長生きされ、天寿を全うされたのはまったくお目出度い事だったと思うが、それに対して、枝雀さんや吉朝さんが若くして亡くなられたのは米朝一門として見た場合は不幸な事だったと思う。時々、米朝さんの落語をテープやCDで聴くと、吉朝さんによー似てるなぁ…と思うくらいである。枝雀さんは枝雀さんで独特の世界を持った落語で存分に楽しませて頂いた。

最近は塩鯛師匠や南光師匠、南天さんなどの高座を見る事が多いが、いずれの方にも素晴らしい話芸で楽しいひと時を過ごさせて頂いている。こないだは米團治の代書屋の「元祖とも言えるパターン」を聴いた。それまでは枝雀さんの「とめ~」「ガタロです」ちゅうのしか聴いた事が無かったのですが、この元祖スタイルの代書屋もなかなか良かったし、春団治もなかなか良かったです。少し前に見た時より「腕」が上がっていたように思いました。

ま、そんな訳で「んん~っ」のさこば師匠を筆頭に孫弟子さんたちも頑張っておられるので、米朝師匠には三途の川べりのバー正塚婆で一門の衆の活躍を一杯飲みながらまったりと眺めといて欲しいと思います。あっ、ひょっとしたら、松鶴師匠や自身の師匠である先代米團治、当方の好きな初代春団治師匠らとあの世のサンケイホールで夢の競演で一儲けされてるかも知れませんな。

米朝師匠の写真を載せるわけにはいかんので、数年前、九州行きのフェリーからSonyのサイバーショットで撮ったものをイメージとして載せました。かなり以前のコンデジですが、解像度こそ昨今のものに適いませんが、画質は良いと思います。

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