クリムゾンキングの宮殿

意外なところで見つけた大伴氏を祭る神社。アレを思い出しませんか。

意外なところで見つけた大伴氏を祭る神社。アレを思い出しませんか。

われながらエネルギッシュである。先週の伊勢に続き、今週は羽曳野古市方面へSIGMA 15 F2.8 EX DG FISHEYEを持って出掛けた。考えたらこのレンズって古墳撮影にピッタリな気がしませんか。当然ながら歪むので記録写真的なものにはAF-S NIKKOR 18-35 F3.5-4.5Gの方が適しているのかも知れませんが、そこはアートな世界と言うことで割り切って考えれば良い事であります。

ちゅうことで、50万円のコルガノ号を所有する知人と古市駅で11:00に合流する予定とし、9:30頃自宅を出発した。この方面は過去に二度ばかりチャリで訪ねているので大体時間の見当も付く、途中、市野山と仲津山、その陪冢の助太山あたりに立ち寄って撮影を済ませれば丁度良い時間に古市に着くハズである。

さて、我が家からこの方面へ出張るにのにポイントとなるものが二つある。それは大和川と近鉄南大阪線である。これを何処で渡るかが結構重要なポイントになる。今回は前者を往復とも外環状線の大井橋、後者を往路は旧170号、復路は外環状線で渡ろうとしたら渡れず、遠回りした挙句、道まで間違いドツボに嵌った。車であれ、自転車あれ、川と鉄道は難儀な事この上無い。目的地は目の前なのにたどり着けないという苦い経験をした事のある人も多いはずである。

また、車に乗っていると、チャリは機動性があってエエなぁと思うが、チャリに乗っていると道路と言うのは車優先に作られているなぁと言うのを痛感する。この日の大井橋などもそうである。川の南側には歩行者と自転車用のスロープが用意されていたが、北側には用意されていなかった。川の土手下の道を少し川上か川下へ移動してから土手の上への道を登る必要があった。困ったものである。ただ、アカン事なのだがチャリは車に比べるとルールが緩めなのが非常に嬉しかったりする。ただ、うっかりすると大失敗の元にもなるので注意は必要が必要なのは言うまでも無い。

で、大和川を渡り最初に向かったのが允恭天皇の陵に治定されている市野山古墳。近鉄南大阪線の土師ノ里駅の少し南側にある。ここの陪冢の脇にある神社の桜はもの凄くキレイでここでもそれについて書いた事がある。今回はまだ桜には早いのでそちらへは向かう予定は無い。そんなところへ寄ってると遅刻してしまう。

ところが、市野山に着く前にそんな事が起こってしまった。大和川を超え、少し南下したところで東へ折れ、暫く走ると立派な神社が目に付いた。式内社の伴内氏神社である。ひょっとして大伴氏の関連の神社かと思い立ち寄ると、やはりそうであった。縁起には中世には戦火により消失し維持管理をを担っていた伴氏も滅びたが、その後再建され、地元住民や氏子の奉仕と努力によって維持管理されているらしい。ちゅうことでトップの画像はここの本殿を撮影したものであります。

その後、市野山古墳、鍋塚古墳、仲津山古墳、助太山古墳を経て待ち合わせポイントへ向かい、「そんな事」に要したと思われる10分ばかり送れで到着しました。合流後は誉田八幡、誉田御廟山古墳、白髪山古墳、軽里前の山古墳、高屋築山古墳から餃子の王将古市店を経て自宅へ戻りました。

Body:Nikon D610
Lenz:SIGMA 15 F2.8 EX DG FISHEYE
iso:140
ap:5.0
ss:1/15
fl:15mm
eb:Modified
soft:DxO Optics Pro9.0

先週の伊勢に続き、絞り優先、ISOオートで撮影してみました。見事シャッター速度1/15を低速リミットにISOが自動設定されています。当たり前といえばそれまでなのですが、高感度に強いこのカメラならISOオートも使えるなぁと実感した次第です。E5もホタルなどの経験から高感度は使えないとの固定観念に縛られていますが、状況によってはISO1600くらいでも使えない事は無いので、ボディーを問わず、積極的にISOオートを試してみる価値はあるなと反省しております。そら、ブラケットするのにシャッター速度で調整するよりISOの方がエエもんね。ブレたら救いようが無いけど、ノイズはなんとかなる場合もあるからね。


ちょっと撮影した写真をば…。
市野山古墳、後円部南西部から。仲津山古墳、前方部北西角から。独立しているのか、仲津山の陪冢なのか市野山のそれなのか…。鍋塚古墳墳頂から見た市野山古墳、中央マンションの後ろがそれ同じ位置から見た仲津山古墳。仲津山古墳の陪冢である助太山古墳墳頂から見た中津山古墳。この直ぐ南側辺りで修羅が発見された。修羅は近つ飛鳥博物館で見れます。写真的には今回一番気に入っている誉田御廟山古墳拝所。外環状線を挟んで東西に主墳と陪冢が並ぶ白髪山古墳。同じ位置から回れ右して撮影しました。その陪冢前方部主墳丘。前方部幅が非常に発達した奇異な墳形です。もうひとつ奇異な墳形を持つ高屋築山古墳。前方部の片側は開くのでなく、前端ラインと直角をなしています。この写真はその直角のコーナー部から後円部方向に撮影しました。で、この古墳、中世には畠山氏の高屋城の本丸の一部(奥のこんもりしたのが墳丘)として取り込まれていたようです。何するねん、畠山。そして最後は、日本武尊の三つの墓のうちの一つとされる軽里前の山古墳。まぁ、墳形から考えてもそんな事はありえないのですがそうらしいです。記紀に出てくる大王陵を築造した地名を元に現存する古墳を割り当てているので、今の治定方法は合理性に欠けてますな。ある意味、天皇家は神と言う事なのでしょうか。個人的には研究者には積極的に墳丘の調査を許可すべきだと思います。

カテゴリー: 写真, 歴史 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です