高安山、信貴山、鳴川峠から近鉄瓢箪山

高安山山頂を示す手作り札

なんと呼ぶのだろう。高安山山頂で見かけた札。F開放が良かったかもです。今回はG7Xをお供にしたがなかなかである。次回はショボイ三脚とのペアで試したいと思う。

とうとうこの時期らしい寒さが戻って来た。天気予報によると週明けからは平年を下回る寒い日が続くらしい。いよいよ冬本番なのだろうか。個人的には寒いのはかなわんのだが、体を動かすには少し寒いくらいが丁度良い。そんな訳で小学生の頃の耐寒登山よろしく、近所の山へ登ってみることにした。当時は屯鶴峯から二上山方面へ強制日の丸弁当を持って歩かされた記憶があるが、この日は信貴山口から高安山、信貴山を巡り、生駒方面へ向って歩き、鳴川峠から近鉄瓢箪山駅へ下山する予定を立てた。途中で疲れたら適当なところで下山するオプション付きである。

信貴山口に着いたのは9:00少し前。同じ車両には「山歩き」と言う格好をした夫婦連れの方がお見えになる。当方は通勤用の20Lザックを背負い、腰にGPSをぶら下げ、ベルトにG7Xを装備しているだけの平凡な格好。靴はどないしよか、ポールもあった方がエエかなと思ったが、結局は通勤スタイルにGPSとG7Xを付け加えただけのものとなった。結局、このご夫婦の方はどこから登られたのか解らないが、その後お会いする事も無かった。

駅の改札を出ると、この近辺のハイキングコースを書いた案内板 があった。それを見ると予定しているルート、国土地理院の地図で適当に見繕ったルート、は「おおみち越え」と言うらしい。近鉄西信貴ケーブルとほぼ平行する大半を尾根筋を歩くルートである。ルートの最初は舗装された道が法蔵寺辺りまで続く。この辺りには高安千塚古墳群と言う古墳時代後半の小円墳が存在しており、中には二室塚やら二室交互塚など、珍しい石室企画を持ったものも存在し、造幣局の技師として来日したゴーランドが調査した時の写真が大英博物館に残ってのもあるらしい。

その周辺を抜けたと思われる辺りで舗装路は終わり、山道が始まる。ぼちぼち歩き始めたが、思ったより斜度がきつい。道は幾重にも重なったドングリの落ち葉に覆われ、粘土質の地肌が露出しているところもありなかなか歩きにくい。この後、信貴山近くの弁財天滝への濡れた石畳でも痛感したが、街歩き様のスニーカではやはりぐにゃぐにゃ、つるつるなので手を抜かず登山靴を履くのが良い様だ。ただ、どうもそんな靴で電車に乗るには少し抵抗がある。ローカットのスニーカーっぽいのも一足あった方が良いのかも知れない。

そんな事を考えながら暫く登り、ちょうど尾根筋の先端に辿り着いたあたりで一息入れられている歳嵩の方とお会いした。鳴川園地あたりの「ぼくらの森」までを往復されるらしい。なんでも毎週通われており、住まいも近所で、写真と絵画を趣味にされているとの事。この後、稜線までいろいろ話しながらご一緒し、そこで解れたが、その後、鳴川峠へ向う途中、十三峠を過ぎた辺りで復路の先方とまたお会いする事になった。

稜線までは法蔵寺から小一時間余り。尾根筋を進んでいた道が谷筋に変ると程なく稜線である。到達したところは予想通り、小さな谷に掛る橋のあるところで、子供の頃、良く歩いて降り始めた地点である。ここで一緒に登ってきたEさんと別れ、これまた懐かしの高安山駅へ向った。駅舎に信貴山門の方へ向うバス停、手洗いまで懐かしい限りである。

この後、道を戻り高安山気象レーダー観測所のところからわき道へ入り高安山山頂へ向った。この道も子供の頃散々歩いたが、高安山山頂がこの道から少し外れたところにあるとは全く知らなかったし、そこを示す道標なども無かった。今でも正式なそれは無いが気の幹に落書き風にその方向を示してたものがあるので、GPSを見るまでもなくあっさり三角点に到着した。

記念撮影を済まし、信貴山へ向った。信貴山といえば松永弾正久秀の信貴山城があったところで、信長に攻められ、落城に際し、平蜘蛛の釜を遣せと言われ、誰がお前に遣るかぁと抱いて爆死し自害したと言う噂が伝わる城である。山腹にある朝護孫子寺には何度か行った事があるが山頂を訪ねるのは始めてなので、どんなところかと楽しみにしつつ尾根道を下った。信貴生駒スカイラインを横切り、緩い下りの尾根筋を進むと、高安山城倉庫群跡の標識を見つけた。ちょっとここで寄り道してみることにした。高安山城と言うたら、百済とわが国の連合軍が白村江の戦いで唐新羅連合軍に破れたため、唐の侵略を恐れ西日本各地に朝廷が建設した山城のひとつである。どんな意図を思って築城されたかまでは良く知らないが、この国際感覚には現代の日本人も大いに学ぶべきであると思う。

倉庫跡から15分ほど下ると高安山から信貴山に繋がる尾根道のコルに到着する。ここで進路を南に取れば弁財天滝から信貴山門へ至るが、滝へは寄らずにそのまま信貴山頂へ向った。山頂へのルートはこの少し先でコンクリ舗装された道路に合流しており、ほどなく山頂に到着した。そこには信貴山城と書いた幟が数本立っていたのと、その存在をしめす案内板、それに石碑があるだけだった。そして、雄岳山頂と思われるところにはお堂が建っており、三角点を確認するには至らなかった。だが、ここからの眺めはなかなか素晴らしく、金剛葛城山が良く見えた。直ぐ東にある矢田丘陵が邪魔ではあるが、眼下には大和川があり、大和盆地を押さえる西の拠点としてはなかなかの位置だと感じた。

なんとなく小腹も減ってきたので時計を見ると11時過ぎだった。途中のコンビニで仕入れたパンをかじって鳴川峠を目指すべく再び高安山方面へ戻る事に。途中、弁財天滝 へ立ち寄ったが滑りやすい石畳に遭遇しただけで徒労に終わった。

生駒山へ続く縦走路へ戻り「一元の宮」と言う宗教法人施設の前を通り、立石越から再びそれっぽいハイキング道になる。この先、鳴川峠までの道はスカイラインに着かず離れずの道が続く。思ったよりアップダウンもあったが、散歩がてらに歩くには丁度良いコースである。年配の団体さんから、学生さんの団体まで、はたまたトレイルランニングの方々ともすれ違った。案内板や道しるべも充実しており、迷うことはほぼ無いと思う。十三峠を経て、鳴川峠へ付いたのが13:30頃。暗峠まで歩いて308号線を下ろうかとも思ったが、生ビールの呼ぶ声が聞こえたので予定通り、ここから下ることにした。途中で案の定、GPSのバッテリが切れたので全行程のログを取る事は出来なかったが、歩行距離は約15kmくらいになったと思う。

鳴川峠から瓢箪山へ至るルートは谷筋であまりパッとしないルートではあったが、砂防ダム直下の斜面を登るところが高さ2m程ではあるが鎖場になっていたのには少し驚いた。もちろん、すぐ横に巻ルートはありましたけどね。

近場で少しきつい目の散歩に適したところがあるとは知りませんでした。縦走路に至る登りルートは複数存在するので、時間を見つけていろんなルートを試してみたいと思います。もちろん目当ては下ってからの生ビール

Camera:Canon G7X
iso:125
ap:4.5
ss:1/200
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soft:DxO Optics Pro10.0


法蔵寺からの眺望。我が家の辺りからハルカスまで見えています。

法蔵寺からの眺望。我が家の辺りからハルカスまで見えています。

高安山駅舎

高安山駅舎

高安山城倉庫跡。籾と塩を蓄えたらしい。

高安山城倉庫跡。籾と塩を蓄えたらしい。

歩道橋もあった。

歩道橋もあった。

愛は要らない金を呉れと老人が叫んでいた。

愛は要らない金を呉れと老人が叫んでいた。

五里山3号墳

なるかわ谷ハイキングコースの始点?付近で見つけた五里山3号墳

 

 


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