屯鶴峯から二上山経由当麻寺

尾根筋南端から見た屯鶴峯

尾根筋南端から見た屯鶴峯。

建国記念日の2月11日、小学生の頃に耐寒登山で毎冬訪れた屯鶴峯から二上山へ歩いてみることにした。あの頃から月日が流れ、随分歳を取ったが、体力的にはまだアノ頃より勝っていると思われるのでルートを当麻寺まで延長することにもした。いつもの様に適当にルートを作成しMap64sへ転送、今回も使わない可能性の高い5020マクロ付きE5をザックの底に忍ばせ、腰にはG7Xを装着し7:00前に家を出た。駅近くのコンビニで食料を調達し、近鉄関屋駅に付いたのは7:30頃。今日は午後から3月並に気温が上がると、天気予報は言うてたが、朝は非常に冷え込んでいる。帰宅後、確認したら大阪でも氷点下まで気温が下がっていたので、この辺りのこの時間帯やとマイナス3度くらいではなかったかと思う。駅近くの線路沿いの休耕田には霜がびっしりと降りていた。アカンやろなぁと思いながらも、たまたまアーバンライナーが通ったので一枚撮って見たがやはり霜の降りている雰囲気を納めることが出来なかった。しかし、撮鉄もオモロイかも…。

屯鶴峯へは近鉄大阪線に沿って西へ向い、南へ折れて踏み切りを渡り、さらに西へ居れて国道165号に合流。200メートルほど進んだところの分岐点を南へ向かい、さらに200メートルほど進んだところからハイキング道に入ると言うルートを作成したのだが、165号からの分岐点はフェンスと金網で仕切られ進入出来ない様になっていた。なので仕方なく、165号をさらに進み、穴虫交差点を大きく南西方面へ鋭角ターンし、府道703号近鉄南大阪線と平行してを700メートルほど進んだところにある屯鶴峯入り口から進入せざるを得なかった。しかし、である。この写真を見ると、フェンスの横から入れる様になっているではありませんか。相変わらずの観察眼の無さ…。屯鶴峯縦走は次の課題となりました。(^o^)

さて、半世紀近くぶりに訪れた屯鶴峯。朝日を反射する白い凝灰岩(正式にはレキセイ岩と言うのかな?)の岩肌が非常に眩しい。尾根筋の南端と思われるところから見た風景は小学生の頃の記憶を思い起こさせるものがあるが、やっぱり規模感がまったく違う。当時はもっと広く、大きく感じたように思う。少しうろつけば、当時見た、洞窟?なども再発見する事が出来たかも知れないが、まだ先があるのでそそくさと退散。府道703号をさらに西へ向いダイヤモンドトレール入り口を目ざした。

北西に50度の傾斜を持ち北東-南西に走っているらしい。

北西に50度の傾斜を持ち北東-南西に走っているらしい。

まさに石棺表面の風合い

まさに石棺表面の風合い

サヌカイトちゅう感じでしょ。叩き割ったら鏃が作れそうです。

サヌカイトちゅう感じでしょ。叩き割ったら鏃が作れそうです。

 

途中、穴虫峠の少し先の近鉄線を跨ぐ陸橋を渡り北へ折れ、穴虫西石切り場跡と言うところを尋ねてみた。凝灰岩の地層が露出したところがあったがここがそうかどうかは解らず終い。畑仕事をされていた方に少し話しを聞いたが、石切り場跡と言うのは御存知無かった。ただ、すぐ近くに戦争中に軍が掘ったトンネルや、サヌカイトが取れる場所はあるとの事だった。

話しを穴虫峠に戻す、峠から400メートルほど進むとダイヤモンドトレールの入り口がある。地図上で作成したルートはこのルートでは無かったが、これが一般的なルートっぽいのでコレで行く事にした。しかし、国土地理院の地図には多くのルートがあるけど、アレッてどれくらいが利用可能なんでしょうかね。更新なんかはどうしてるんでしょうか。ここ数週間、近所を散歩しているのですが、結構存在しない、あるいは現用では無いルートが残っていたり、新しいルートが作成されていたりしているようです。

ここから二上山までは入ってすぐのところにある分岐でへそ曲がりにも左へ折れて失敗したが、それ以外は運命を左右しそうな分岐もなく、太子町にある万葉の森公園から登ってくるメインと思われるルートとの合流地点まで辿り着いたが、結構斜度がきついところがあったのと、階段になっているところが多く、小さなアップダウンが続くので思っていたより疲れた。合流地点の先には南大阪が一望できるビューポイントがあった。

ここから数十メートル先へ進むと馬の背と呼ばれる雄岳と雌岳の鞍部、所謂コルに到着する。ここには手洗いもあるし、この日は営業していなかったが売店もある様だ。ここまで一気に来たら間違いも無かったのだろうが、ビューポイントの少し先にあった「雌岳」と書いた標識を「雄岳」と読み間違い、雌岳山頂へ登ってしまった。次の目的地である当麻寺へは雌岳山頂から下るルートである。すなわち、一旦雌岳を下り、雄岳に登り、そして再び雌岳へ登り直すハメになってしまった。

実際は馬の背から雌岳の西側を巻く様にして岩屋峠へ到るルートがあるのだが、GPS上の地図では表示範囲が狭いのでどうも地図としては使いづらい。A4サイズに印刷した地図も持参しているのだが、ザックの中なので、迷った時くらいしか出す気にならない。その上、岩屋と言う遺跡が岩屋峠にあるのだが、それを知らなかったために「岩屋イコール岩屋峠」と標識を読み替えることも出来なかったのも登り直すハメになった一因である。
そして、登りなおした雌岳から標識に岩屋と書かれた方へ向って下りると岩屋峠に辿り着いた。岩屋峠は雌岳山頂からのルートと、恐らく馬の背から雌岳の西側を巻いて来るルートと祐泉寺方面へ向うルートと竹内峠へ向うルート、そして50メートルほど先にある岩屋を経て鹿谷寺方面へ向うと思われるルートが公差している五叉路である。この辺りも道を間違えやすいポイントかと思う。例えば、当麻寺へ向うにも今回の当方が予定していた様に、竹内峠方面へ少し進んでから当麻寺方面へ下るルートと、ここから裕泉寺を経て当麻寺方面へ下るルートがあり、恐らく一般的なのは後者の方なのだろう、確認の意味で当麻寺の方へ下るのは「竹内峠」と書いた方か「祐泉寺」と書いた方のどちらですかと尋ねたところ「祐泉寺」方面だと教えられた。一瞬、考えて「当方の想定しているルートでは違う」と感じたが、道を尋ねた手前、あえて「祐泉寺」へ下ることにした。これでいいのだ。

実は、ここで道を尋ねたのには伏線がある。雌岳から岩屋峠に到着したとき、そこが岩屋峠やと気づかずに、「岩屋」と掛かれた看板に釣られ、当麻寺を目指す前に50メートルほど下ったところにある岩屋を先に見学し、そのまま少し先んだところにある別の道との合流点に「竹ノ内峠」と書かれた標識を見つけ、そっちが意図する方向だと思い進んだが、下る一方だったので不審に感じ、たまたま登って来られた方に「こっちは竹ノ内峠」ですかと尋ねたところ「釣堀の方」とか、どうもピンと来ない応えに当方も怪訝な表情を示したのだろう、その方から「少し上の方で別の方にも確認してください」と言われ来た道を引き帰した経緯がある。

 

 

樹齢千年、やったらしい。 今も生きてたら何歳やろね。

樹齢千年、やったらしい。
今も生きてたら何歳やろね。

8世紀奈良時代の築造らしい。当時は覆屋があったらしいとの事。

8世紀奈良時代の築造らしい。当時は覆屋があったらしいとの事。

高松塚で使われた石材を切り出したらしい…。

高松塚で使われた石材を切り出したらしい…。

 

 

ともかく、この後は特に道に迷うことなく祐泉寺経由で無事に当麻寺に辿り着いた。祐泉寺から先は舗装された道だったので面白味に欠けたが、途中、横口式石槨を持つ鳥谷口古墳と言う7世紀後半に築造された方墳を見学する事が出来た。7世紀後半と言うたら大化の薄葬令の後だけに方墳とは言えそれなりの地位の方のお墓なのだろう。日本版王家の谷と呼ばれる磯城谷を通る竹ノ内街道の奈良県側に位置すると言うのも興味深い。

昼前くらいに当麻寺に到着していたら拝観しても良いかなぁと考えていたが、昼を回っていたのでそのまま帰宅する事にした。当麻寺駅前でお土産の中将餅を少しだけ買って電車に乗り込んだ。

Camera:Canon G7X
iso:125
ap:5.6
ss:1/800
fl:8.8(24)
eb:0.00
soft:DxO Optics Pro10.0

 


 

雌岳山頂から見た奈良盆地。左から耳成山、畝傍山、天香久山。

雌岳山頂から見た奈良盆地。左から耳成山、畝傍山、天香久山。

5020マクロで撮ってみた。画角の違いで大和二山になってしまった。(^-^)

5020マクロで撮ってみた。画角の違いで大和二山になってしまった。(^-^)

 


 

ダイヤモンドトレールで馬の背へ向う途中。坂路で地面に這いつくばってたらオバチャンにおちょくられた。(^-^)

ダイヤモンドトレールで馬の背へ向う途中。坂路で地面に這いつくばってたらオバチャンにおちょくられた。(^-^)

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