宇智共和国

日本にも存在した共和国

戦国時代、天皇が存在するrわが国に共和国があったらしい。

共和国、解っている様で解らない。そこでググッてみたらそれは「君主がいない国家」と言う事の様だ。君主と言うくらいやから、王様とか皇帝とかその類の人が存在しないということなので、天皇陛下がおわす我が国には共和国など存在しえないはずである。それが中世の大和国、今の奈良県の御所から五条にかけての辺りに存在したという。「戦国時代の大和国にあった共和国」そんなキャプションに惹かれて、先週の6月18日の土曜日に八尾市歴史民族博物館へ葛城市歴史博物館の田中先生の講演を聞きに言ってきた。葛城市の歴史博物館と言うたら、元橿原考古学研究所の千賀先生が再就職されたとこやなぁ…などと思いながら。

ここへ講演を聞きにくるのは久しぶりである。もうかなり前に岸本先生の講演を聞きに来て以来である。古墳の築造企画までとは行かないが、岸本先生も墳丘の平面プランに注目し、被葬者像に迫られていたように思う。築造企画については上田宏範先生をはじめ、宮川先生や、石部先生、関西圏以外では甘粕先生などの本を読んだが、いずれもどこかに「あやふやな部分」があり、「コレやっ」と言うには至らなかったが、少し前に沼澤豊先生が書かれた「前方後円墳と帆立貝古墳」を読み、「コレやっ」と納得するに至った。ただ、その先にあるものをどう捉えるかと言うところが醍醐味なのであって、それには築造企画だけでは迫りきれないのである。

おっと、話がそれた。

ま、そんな訳で普通の定年前のオヤジとしては古墳時代についてはイロイロと知っていることもあるが中世となると、とんとそこらのオヤジと変わりない。その程度の下知識で講演を聞きに行ったので、帰宅後、記憶の断片とレジメへのメモを見ながら復習をすることで、少しは内容を理解する事が出来たかも知れない。

時代は16世紀初頭から半ばの頃。北条早雲が小田原城を奪ったのが1495年、信長が生まれたのが1534年、鉄砲伝来が1543年ちゅうとこですから、まさに室町の終わりから戦国に掛けての時期。あちこちで徳政一揆が起こり「国家」としては乱れに乱れつつある状況にある頃。当然、都には天皇がおみえになるわけだが、朝廷が派遣した国司はほとんど力もなく、元来警察権だけしか付与されていなかった守護が実権を握っているというのが、実態であると考えられていた時代であります。

で、この守護が実権を握っていると「考えられていた」と言うところが今回の講演のテーマで、本当に実権を握っていたのは土着の武士集団の集まりであった事を裏付ける古文書の紹介でありました。具体的に言うとテーマの舞台となった大和国宇智郡を実際に取り仕切っていたのは郡中に存在するいくつかの惣と呼ばれる同族の武士団が支配する村落の集合体であり、行政上この地域を管轄する畠山氏やその被官ではなかったということを証明する古文書の紹介であったと言う事です。

そして、当時頻発した徳政一揆や土一揆と呼ばれるものの母体こそがこの惣であり、紹介された古文書を見ると、もちろん口語訳されたものですが、一揆と成り得た理由がはっきりと解ります。一揆と言うたら、生活苦に耐えかねた貧乏人が自然発生的に富裕層を襲って、金品を略奪すると言うイメージがありますが、本当は全然違った様です。そう言うたら高校生の頃、日本史でそう習った様な記憶が…。ま、そんなことはともかく、こんな社会になったのも正に足利幕府の生い立ちや、もっと長い歴史の流れからも必然であるとも感じました。ひょっとしたら、弥生終盤から古墳時代にかけての時期と合い通じるものがあるのかも知れ無いとも感じた次第であります。

で、古文書の内容は、守護の畠山政長やその子の卜山と宇智衆との政治的なやり取りや、旱魃で借金も返せなくなり、徳政を恐れた金貸しが金を貸してくれなくなったので、なんとか借りれる様にして欲しいとの農民からの要求を受けた惣領(連合)が、金貸しと話を付けたので金は借りれる様になったが、守護から徳政令が出てもそれは適用されないからそのつもりである事。またこの内容は守護やその被官にも了解済みである事。など、惣領たちの為政者としての働き振りが生々しく記されていた。

まさにこれは、法律上の領主など存在しないも同然の状態であります。おそらく、宣教師のルイス・フロイスはこの状態を見て「日本にはいくつもの共和国がある」と本国へ報告したのでしょう。そして、それが意味するのは何やったんでしょうかね。

最後に、一揆を構成した惣領や同名中 ( どうみょうちゅう ) と呼ばれる同族の武士団がどうなっていったかも紹介して頂きました。栄枯盛衰、悲喜こもごも、関が原の頃に浪人となって仕官の道を探る身となったもの、立派な武士となり江戸時代になっても旗本として過ごした者、百姓に戻った者、全て失い家名を継ぐ事も出来ず縁故に家名の引継ぎを嘆願し、僅かばかりの路銀を恵んでもらい、お遍路さんへ死出の旅路に向った者…、いつの時代も人生とは、歴史とはドラマチックなものであります。


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宇智共和国 への2件のフィードバック

  1. 雲隠平蔵 のコメント:

    色々、勉強してはりますなぁ〜
    私は頭を使うのが甚だ苦手なので、苦行しかありません

  2. admin のコメント:

    まぁ、スキなだけですね。
    金も掛からんし。(^o^)/

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