秋季彼岸会にて

昨日、彼岸には一日早いが秋季彼岸会の法要があった。昨年からの武漢熱、通称コロナで規模が幾分縮小され、参列者も少ないもの無事法要が営まれた。親父の具合が悪くなり施設に入り、昨年亡くなる前までは親父が参列してたので私が参列することはほとんど無かったのだがここ3年ほど前から私が参列している。それまでは参列しても最後の方にチラっと顔を出す程度だったのだが自分の意思で参列する様になってから墓掃除と墓参りを法要の前に済ませてから参列している。武漢熱が広がってから法要前の講話と言うかイベントと言うか催しは廃止されたが、参加してみるとこれがなかなか面白い。内容が当然ながらもっともだと言うこともあるが、お坊さんと言うのは話が上手い。そういえば小学校高学年時の担任の先生がお坊さんで授業よりも講話の方が面白かった。[1]退職前はその先生のお寺の前を通って通勤してたのだが時々お姿を拝見する事があった。会釈をしたこともあったが気づいてはいないやろな…。

そんな講話が無くなった代わりかどうかわからないが、昨日参列時に頂いた品の中に本山が発行している機関紙?の様なものが入っていた。帰宅してから表紙をめくると開祖隠元禅師について書かれていた。それによると隠元禅師は示寂まえに水尾天皇から封号を送られその後も50年ごとの遠忌に皇室から諡号を受けてるらしい。こっちはほとんど学も無いので諡号と言えば後醍醐とか昭和とか天皇が無くなられてからの呼び名と言う事くらいしか知らない。なのでそんなものをいくつも、それも皇室から賜るなどと言う風習と言うか慣例があることに驚いた次第。

今、自民党の総裁選挙が行われている。投票権があるのは党員と議員だけなので私には何の関係も無いが。皇位継承に関してもそれなりに注目が集まっている。残念ながら私も含め戦後生まれの人間は皇室やその歴史、その在り方など我が国の伝統的な国事について何も一切教わっていない。また政治的にもそんな事が問題になった記憶も無い。若くは無かったが海外へ旅行し、異人と話す機会があった時日本について何も知らんなぁと痛感した。それから30年近く経っただろうか。漸くそんな風変りな社会に一石を投じる様な総裁候補が出て来た。男女平等と言われだしてから何十年たったのかそれは解らないが漸くそれが現実的なレベルまでなって来た時に現れた女性候補である。

演説を聞いているとアホな頭でもスッと入ってくる。心の底でうやむやしていた問題にもストレートに応えている。残念だが他の候補者より1000倍素晴らしいと感じるとともに、総選挙要らんやん。自民党の総裁候補者毎に自民A党、自民B党、自民C党などとして今回の総裁選をそれの代用にしたらどないと思えた。

残念ながらそれくらい野党は存在価値が無い。それにマスコミと言われるテレビ局や新聞などなど。それも不要やね。特に日本放送協会。明らかに不要です。記者クラブと言うのもえげつない。不要です。[2] … Continue reading

まぁ期待する様な結果にはならないと思いますが、この流れを止めることなく国や国の歴史について学び直すと言うかしっかり学ぶ必要があると感じました。旧態依然が心地よい勢力からは妨害活動があると思われますが多種多様な考え方の存在を認めるのが民主主義であります。私も手後れながら日本国を語れる人間になれたらエエなぁと思う次第。[3] … Continue reading

脚注[+]

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