久々の遠出

坂本1号墳

割竹形木棺を持つ7世紀の前方後方墳。向こうの方の人が群れてる小山がそれ

三重県は多気郡明和町を訪ねた。ここは7世紀から14世紀にかけて斎宮と言う天皇に代わり伊勢神宮を祭祀する斎王さんの住まいやそれに関連する施設があったところである。現地を案内して頂いた斎宮歴史博物館のボランティアガイドの方の説明によると壬申の乱に勝利した天武天皇の頃にその起源を持つらしい。この天皇に変わり伊勢神宮を祭祀する斎王というのは年端も行かぬ皇女の中から選ばれたようだが、現代の感覚からすれば、かわいそうになぁ…としか思えないが当時はどうだったのだろうか。案外、そんなものとして受け入れられていたのかも知れない。

それにしても天皇家はなぜ皇祖神であるアマテラスをわざわざ伊勢の地で祭ることにしたのだろうか?元々は宮中?で祭祀されていたものが崇神天皇の頃に天皇自らが同じ空間で共存すること?が「畏れ多い」として場所を移し、皇女に祭祀させるようになったのが伝承上の起源らしいが、これはあくまでも伝承上の事であり、ここにどんなウラがあったのかが非常に興味のあるところである。

と、言うことでやっぱり気になるのは土饅頭ちゅうことになってしまうのですねぇ。写真は斎宮跡から1.5kmほど北に離れたところにある坂本1号古墳。かって、坂本古墳群には120基を超える数が確認されていたが、そのほとんどは削平され消え去ってしまったらしい。今では古墳群中、最大規模を誇る前方後方墳である坂本1号墳ほか数基が残っているにすぎない。で、この坂本1号墳であるが、興味深いのは築造時期が7世紀半ばであるにも関わらず、割竹形木棺で直葬 ( 粘土槨は無かったのか? ) で、墳形が前方後方形であると言うこと。地元の教育委員会の方の説明では斎宮造営に関わった地元の有力者の墓ではないかとの事であったが…。また、斎宮跡のすぐ西に隣接する形で塚山古墳群が存在する。こちらは5世紀代に造営されたものらしいが、円墳と方墳から構成されている。興味深いのは資料として配布いただいた塚山古墳群の分布図に前方後方墳が存在しない事。このことはおそらくどこかに存在するのであろう、6世紀の古墳群の姿と合わせて非常に興味がそそられる。

今回の訪問は斎宮がメインだったので、古代に関してはあっさりしたものであったの仕方ないが、個人的にはやはり斎宮が設けられるに至った段階、それも早い時期のことが気になって仕方が無い。復路、伊勢から伊賀盆地を抜け、桜井茶臼山古墳の脇を通って八木は向かう近鉄特急に揺られながら、ふと古代の人々の交流についてぼやーんと考えておりました。

う~ん、もうちょっと絞って撮ったつもりだったのですが…。眠たい画質が余計に眠たくなってしまった。

Body:Olympus E410
Lenz:ZUIKO ED 14-42 F3.5-5.6
iso:100
ap:3.5
ss:1/500
fl:14mm
eb:0.0

カテゴリー: 歴史 パーマリンク

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