阿蘇ピンク石

阿蘇ピンク石

阿蘇ピンク石製の舟形?家形?割り竹形?石棺

先週は今週に備えての宇治行きだったのだが、24日の土曜日はまたもや悪天候でイベントは中止。そこで所用を全て24日に済ませて25日に奈良三名椿に挑んだ。市街地にある伝香寺は満開で、散り椿を堪能できたが、山手?にある白毫寺では満開にほど遠く西からの季節風を堪能するに終わった。身頃は4月初旬、サクラの時期になるような感じ。東大寺の開山堂は立ち入る事が出来ないため、門前から中を覗いてみたが、それらしき椿は見あたらなかった。土塀越しに撮影した写真が四月堂に貼ってあったので、こちらもまだ花が咲いていないのかも知れない。

そんな訳で、伝香寺で撮った散り椿を登場させようと思ったが、迷作は出し惜しみと言うことにして同行者にムリを言ってオマケで訪問した野神古墳の石棺を登板させることにした。今年からセリーグも予告先発になるらしいが、椿を出すように見せかけて石棺を出すのは違反なのかな?いやいや、タイトルから見たら順当。

で、野神古墳の石棺はタイトル通り阿蘇のピンク石製である。別名?馬角石とも言うようで、後世、肥後細川家も献上用の石材としても利用していたらしい。そのルーツは古墳時代の石棺にあったりして…。いずれにせよ、地元で発掘される石棺にピンク石製のものは無いようです。

このあたりでは継体天皇陵と目される今城塚古墳からもピンク石の破片が発見されたり、推古天皇と皇子の合葬墓と言われる植山古墳にも立派な家形石棺があるし、桜井の兜塚古墳でも家形石棺が見られる。珍しいところでは大阪四天王寺に元々石棺材だったと思われる石材が熊野権現礼拝石として利用されていたりする。実際に見たことがあるのは兜塚や四天王寺のもので、いずれも表面がかなり変色しており、今城塚で見た「復元されたピンク石製石棺」のように綺麗なピンク色のものは目にしたことはなかった。

ところが、今回ようやく綺麗なピンク色をした石棺を目にする事ができた。シチュエーションは写真の通り良くないが、色は本当に綺麗なピンク色をしている。現在は墳形も留めず、石室も半分以上破壊されているが墳頂後らしきところにある祠の脇の案内板によると、この場所には井戸があるとされており、明治9年の旱魃の時、水を求めて掘り起こすと石室があり、イロイロを副葬品も出てきたらしい。もちろん、石棺には立派な?盗掘穿が開いていたので、目ぼしいものは既に運び出された後だったと思うが、その時は埋め戻し、竹垣を取り設けたと書いてあった。

奈良市教育委員会の案内板によると築造は5世紀末から6世紀初頭と言うことらしいので、通常の阿蘇溶結凝灰岩製の石室が発見された市野山 ( 允恭天皇陵 ) にやや遅れる辺りから雄略朝にかけての時期かも知れない。江田船山古墳の鉄刀に見られるワカタケルとも符号する。はてさてどのような人物が埋葬されていたのでしょうか?

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