穢麻呂

神護寺にある清麻呂公のお墓

神護寺にある清麻呂公のお墓

お盆休み中日の15日、高雄の神護寺へ行ってきた。なんで高雄なのか?ちょっとは涼しいから?よー解りません。教科書に載っていた頼朝の肖像画がここにあるらしいので、それを見に行こうと言うことだったと思うのですが、残念ながら奈良国立博物館に出張中でお目にかかることは出来ませんでした。(複製が金堂にありましたが)

その代わりと言うのは甚だ失礼ではありますが、文覚さんと後深草天皇皇子の性仁親王、和気清麻呂公の廟所にお参りして来ました。文覚さんは平家物語の登場人物で、北面の武士時代?の清盛や義清の同僚だった記憶してます。清盛は為政者に義清は西行として旅の僧に。文覚さんこと遠藤盛遠は間男に失敗して、クソ坊主文覚として動乱の時代を生きていくことになります。西行と文覚、どっちも僧になったんですが、そのプロセスは良く似た様なそうでも無い様な…良く覚えていません。

ただ、個人的には間男に失敗して…のストーリーの方が好きではあります。この世界には時代は違うが鑑真さんのような立派な高僧も居られるし、盛遠の様に間男に失敗して坊主になる者も居てるし、きっかけはエロか金か権力とイロイロか何かわからんけど、最終的にそこへ到るかどうかは別にして坊主セグメントと言うのはある種のロンダリングシステムなのかも知れませんな。笑

で、そのロンダリングスステムをもっとも必要?とした坊主は誰か。この世の中には洗浄が必要な者モノで溢れていますが、坊主界においては何と言っても道鏡さんでは無いかと思います。膝が三つあったと言われる下半身を利用して称徳天皇をヒーヒー言わし、自らが天皇になろうとしたエロ、金、権力にまみれた最高級の破戒坊主と言うのが当方が道鏡さんに付与する称号です。

依然、石原さとみちゃんが称徳天皇を演じているテレビ番組を見ましたが、彼女が称徳さんなら道鏡さんになってみたい心境です。残念ながら、彼女が演じたのは聖武天皇の皇女時代から孝謙天皇にかけての時代だったと思うので道鏡さんは登場しませんでしたが…。

で、その道鏡の野望を達成一歩手前で打ち砕いたのが穢麻呂こと和気清麻呂。我が郷土の誇り、道鏡さんにしてみれば野望の成就一歩手前で望みを打ち砕かれた清麻呂は正に穢麻呂だったに違いないですな。

その清麻呂さんのお墓が神護寺にあるとは知りませんでした。有名人のお墓はあちこちにあるので、高雄にあっても不思議では無いですが、神護寺と何かの縁でもあったんでしょうか。

Body:Olympus E5
Lenz:ZUIKO ED 12-60 SWD F2.8-4.0
iso:400
ap:4.0
ss:1/25
fl:60mm
eb:0.0
soft:DxO Optics Pro7.2

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穢麻呂 への2件のフィードバック

  1. 似非法師 のコメント:

    神護寺は和気氏の私寺だったそうです。遣唐使から帰った、空海は唐に20年いなければならなかったそうですが、曼荼羅など密教がすばらしいものだと、朝廷にうりこんで、2年で帰国して神護寺で活動をしたらしい。北東の比叡山の最澄と北西の神護寺の空海は最初は交流があって、いろいろあって断絶したようです。3年程前、高野山にいったときそれ以来、天台宗(開祖最澄)と真言宗(開祖空海)があったようでした。

  2. admin のコメント:

    私寺とは言え、清麻呂と空海とではかなりの隔たりがありますな。北摂にあった鎌足の墓みたいなもんかな?それよりは遥かに関連性は高いやろね。

    ヒマなときに調べてください。

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